left
 
[ TCg̈ꕔ̃y|Wł́A
Macromedia Flash Player 6ȏA
܂͍ŐVłKvƂȂ܂B ]
 
 
 さて、昔の巡礼を思うとき、今のように車などありませんから、歩いて巡るしか方法がないわけで足が不自由な方や、またお年を召して脚力が弱くなっている方などは巡礼ができなかったと思います。ですから昔は身体に自信のある人達しか出来なかったのではないかと容易に察することができます。その意味に於いて巡礼は厳しい修行そのものであったと言えるでしょう。
 ところがいまでは、多くの巡礼者をお受けしているなかで、次のようなお問いあわせを受ける事もあります。それは「私は足が悪いのでお寺近くまで車で行けますか?」とか「身体に障害を持った方をお連れするので当方の施設対応状況はどうですか?」などのご質問です。昔の巡礼では考えられない問いかけです。
 しかし今の時代ではお陰様でこのような状態の方でも巡礼という修行ができるようになりました。有り難いことです。そのような時代にいま生きていることを当たり前と見ずに心からの感謝の思いを持ちたいと思います。
 そして昔も今も言えることは巡礼が出来ている人は幸せといえます。こう言いますと「いいえ私は今の苦境を神仏に救って頂くために巡礼をしています」という方もあるでしょう。

 確かに毎日奉納されたお写経に書かれているお祈りの内容を見ていますと、家族や子供の病気平癒、また肉親との死別、なかでも逆縁でお子様を先に亡くされてのご供養の祈りなど、本当に切実な願いが書かれていて、胸痛む思いで神仏にお祈りすることがございます。
 しかし、敢えていいますとそのような願いを持った方とて、次の条件が整わないと巡礼が出来ないという事実があります。
 まず、自らが健康であること。家族や第三者の協力があること。時間が取れること。費用が出せること。などの条件です。そして何よりも自分にはそのような条件が揃って巡礼をすることを許される存在であるということ。またはそうする事を許して下さっている存在がある。ということに心を向けてみる必要があるでしょう。
 どうか「巡礼が出来ることの幸せ」を感じながら巡礼をして頂きたいと念じます。
 
Untitled Document